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「新選組」紀行<島原編> 2003年4月25日

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さて、屯所のあった壬生から花街のあった島原に歩きます。距離は1q弱と言ったところ。
島原は我が国最初の花街。長州・薩摩の藩士たちもここでよく会合をしたようです。
新選組は反幕浪士たちの探索に、また隊士たちの遊興に、この島原をよく訪れたようです。
壬生寺からJR山陰本線に沿って南へ歩いてJR丹波口駅を少し南に行ったところから島原に入っていきました。
地名は現在の中京区から下京区に移動したことになります。    
tizu.jpg ←<島原の地図>
住吉神社の傍に「島原西門跡」という碑と、この島原の地図がありました。島原自体がどのくらいの広さなのか見当がつかないので、とにかくこの地図を頭に入れて、「角屋」を目指します。
<角屋(すみや)>→
西門跡から3分ほどで、揚屋「角屋」に着きました。揚屋とは現在の料亭のようなもので、置屋などから妓たちを呼んでもてなします。角屋の前には「久坂玄瑞密議の場」という碑が立っていました。
芹沢鴨が暗殺されたのも、角屋で遊び泥酔して帰った夜でした。
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noren.jpg ←<角屋ののれん>
入り口に吊されていたのれんですが、今は建物内部に展示されていました。
新選組隊士たちもこののれんをくぐったことでしょう。
角屋の展示物の中には西郷隆盛の使ったと言われる盥もありました。薩摩・長州藩士が出入りしていた事を物語っていました。
<角屋の台所>→
この台所の広さからも、当時の角屋の賑わいが偲ばれます。
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←<角屋の庭>
庭には茶室が3つも設けられています。「臥龍松」が見えていますが、芹沢鴨が酔って斬りかかったという言い伝えもあるそうです。
<角屋・新選組の刀傷>→
新選組が柱に残した刀傷。
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←<角屋もてなしの文化美術館>
角屋に隣接して、角屋ゆかりの展示品があります。
なかでも豪華な太夫の衣装などに目を奪われます。
また、太夫たちの歌を綴ったものなど、当時の太夫が外見の美しさだけでなく、知性も磨かれた女性たちだったと言うことを感じさせられました。
現在の島原では、新選組活躍当時の名残をとどめているのは、揚屋の「角屋」、置屋だった「輪違屋」、「大門」の三箇所のみとなっています。
角屋から大門・輪違屋付近までは徒歩5分くらいです。

(角屋・・・下京区西新屋敷揚屋町32)
  
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←<島原大門>
島原への入り口でもあり、遊女たちはこの大門から外には出ることが出来ませんでした。
<輪違(わちがい)屋>→
大夫や芸妓を派遣していた置屋の「輪違屋」です。
こちらは現在もお茶屋さんを営業されています。
新選組の隊士たちも輪違屋の遊女たちと遊んだようです。
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←<西本願寺>
島原大門を出て、東に向かい大宮通を渡って、西本願寺に出ました。
西本願寺は広大な敷地なので、どこから入ればいいのかまごついてしまいました。
島原大門からは徒歩10分くらいです。
新選組は慶応元年(1865年)壬生からこの西本願寺に屯所を移しました。
<西本願寺 太鼓楼>→
西本願寺の広大は敷地の北東の角になる太鼓楼。ここが隊士たちの屯所としてあてがわれました。
(西本願寺・・・下京区堀川通花屋町下ル)
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nijoujou.jpg ←<二条城>
太鼓楼前にあったバス停で時刻表を見ていると、ちょうど二条城方面行きのバスがやってきたので、思わず乗車してしまった。
西本願寺前からバス停5つ目、二条城前で下車。
江戸幕府の将軍が上洛の時はここに入った。
上洛中の将軍警護の目的で集められた浪士隊が、新選組の誕生に繋がった。
二条城は西本願寺から北へ2qほど。
走れば10分程度で来れるな〜・・・などと考えてしまった。